独立行政法人海洋研究開発機構(=JAMSTEC、加藤康宏理事長)地球内部ダイナミクス研究領域の阪口秀技術研究主幹らとザ・インクテック(=INCTEC、戸塚嚴男社長・大日本印刷の子会社)は、平成17年度よりインキの複雑な運動をコンピュータ上に再現するための技術に関する共同研究を行い、このほど世界に先駆けてインキのシミュレーションソフトウェアのプロトタイプを開発した。 このプロトタイプにより、従来の数値流体力学的手法では扱うことが困難だったインキの複雑な振舞いのシミュレーションが可能となり、印刷の品質管理向上につながるとともに、地殻・マントルが連動して流れたり割れたりするシミュレーション等への幅広い応用につながることが期待される。 印刷インキは、ある一定以上の力がかかると流れ出し、それが一定以下になると紙の上でピタリと止まって固まる、いわゆる「ビンガム流体」の性質を持っている。このビンガム流体は、コンピュータや数々のハイテク機器を利用した技術開発が進められている今日においても、その性質が発揮される本当のメカニズムが良く分かっていなかった。 そのため、インキの製品開発の分野では、実際のインキを用いた試行錯誤的な実験に頼らざるを得ず、開発期間やコストが課題となっていた。 また、地球を構成する岩石も、温度と圧力の違いで硬さや流れやすさが非常に異なるというインキのように複雑な性質をもっている。そのことから、岩石が地球内部の熱によって対流運動することとその運動が原因で地震につながる破壊が起こることを、一つの枠組みで考えることは非常に困難で、その特異な性質のメカニズムの理解が地殻・マントルのシミュレーション研究にとって大きな課題だった。このような課題を解決するために、JAMSTECとINCTECは、平成17年度より共同研究(「粘性コントラストが著しく高い物質の不安定流動現象のシミュレーション技術開発に関する基礎研究」)を開始した。 INCTECがインキのレオロジー(物質の変形及び流動)物性を測定し、JAMSTECがその測定結果に基づいてシミュレーション技術の開発を行い、実験結果とシミュレーション結果を検証しながら進めてきた。 その結果、インキの流動をコンピュータ上で表すモデルとして、「二次元紐状モデル」と「三次元動的鎖モデル」を開発することに成功した。 二次元紐状モデルにおいては、既存の流体シミュレーション技術では表現できなかったインキが印刷機のローラーを移動する際に発生する“糸引き”現象を再現し、従来困難とされていた粘性の流体シミュレーションが可能であることが確認できた。三次元動的鎖モデルにおいては、「二次元紐状モデル」を発展させ、今度は個々の粒子がブルブルと振るえている状態を連結することでできる鎖によって粘弾性液体を表現するモデルを開発した。このモデルによるシミュレーションにより、レオメータ(粘弾性測定装置)上でのインキの挙動を再現した。 今後、INCTECがワニスやインキを用いた実験で得た測定値をもとに、JAMSTECがシミュレーションソフトウェアのパラメータをチューニングし、得られた計算結果を実物のインキを用いた実験の結果と比較することで、シミュレーションの高精度化を進めていく。 また、開発したプロトタイプのソフトウェアを用いて今後さらにインキの流動を特徴付けるレオロジー発現メカニズムの解明を行い、シミュレーションソフトウェアの平成23年春の完成を目指す。 INCTECは、これまで経験や実験を通じて行ってきたインキの開発にシミュレーション技術を導入することで、印刷機上のトラブルを防ぎ、より鮮明な印刷のために最適な製品開発が可能となる。また、実際に目で見ることのできない印刷機の内部のインキの動きを可視化できるため、印刷の品質管理向上を強化することもできる。 JAMSTECは、共同研究の成果をインキのように複雑な性質を持つ地殻・マントルのシミュレーションに応用するとともに、溶岩流、血流(大阪大学基礎工学部和田教授との共同研究)、細胞液の動き、コンクリート流動といったインキ以外の粘弾性流体への応用を展開し、今後、様々な研究機関・企業等との共同研究を進めていく。 また同研究は、遠い昔にビンガム氏がインキの流れを観察して考えたことをコンピュータの中で再び考えることであり、科学そのもの原点を見つめ直し、身近な物質の性質を考える科学の面白さを伝える絶好の教材にもなる。
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